興味を持たれた方は
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h12/jog136.html
http://www.american-presidents.info/jyunko.html
昭和24年5月18日から6月10日にかけ、
九州全県 を巡幸されたときの
エピソード。
佐賀県基山町の因通寺には
40余名の戦災孤児のための洗心寮があった。
孤児たちの中に位牌を二つ、胸に抱きしめた女の子がいた。
昭和天皇は女の子に近づかれると
「お父さんとお母さん?」とお尋ねになった。
「はい これは父と母の位牌です。」
とはっきり返事をする女の子。
「どこで?」
「父はソ満国境で名誉の戦死を遂げました。」
「母は引き上げの途中、病のためになくなりました。」
「お寂しい?」
女の子は首を横に振って
「いいえ。」
「寂しくはありません。」
「私は仏の子です。」
「仏の子は、亡くなったお父さんとお母さんに
浄土に行ったときに、もう一度会うことができます。」
昭和天皇は、すっと右の手を伸ばされると
女の子の頭を、2度3度と撫で
「仏の子供はお幸せね。」
「これからも立派に育っておくれ」
とお言葉をかけた。
そのとき・・・。
畳の上に数滴のしずくが落ちた。
女の子は 昭和天皇を
「お父さん・・・」
そう小さな声で呼んだ。
控えていた皆が涙を堪えることができなかったという。
御製
” みほとけの 教へまもりて すくすくと
生い育つべき子らに 幸あれ
元侍従の著書からの話らしい。が 泣けるねぇ。