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河童工房('◇')の憤懣本舗

シベリア、満蒙抑留戦没者慰霊・・・今こそ援軍を送る。英霊を祖国へ帰還させよう。

http://www.youtube.com/watch?v=YviSpkZS2dg

国旗の重み、建築編~悲しき誇り~



東欧の共和国ウズベキスタンは
首都タシュケント。
そこにあるビザンチン様式のナヴォイ劇場。
その左側にある銘板には
ウズベグ語、>日本語を含む4カ国語で
こう刻まれている。
「>1945>年(昭和20年)~1946年(昭和21年)にかけ
>極東から強制移送された、数百名の日本国民が
>このアリシェル・ナヴォイ名称劇場の建設に参加し
>貢献した。」


シベリア、満蒙抑留戦没者慰霊・・・今こそ援軍を送る。英霊を祖国へ帰還させよう。_b0301338_511498.jpg

写真は実際の銘板

初耳かもしれない。
しかし
この劇場を 建設したのは
旧ソ連に抑留された
紛れもなき日本人たちで
ある。
強制労働させられている身分にも関わらず
仕事?へ真剣に取り組む日本人たちの姿は
地元の人々の心を揺り動かしていく。
ここにも日本人の勤勉さが現れているのだが
予定工期よりかなり早く劇場が
完成したという。
そして、時は流れ完成から20年後。
タシュケントをM8.0という大地震が襲う。
まわりは瓦礫ばかりになった場所に
凜として変わらぬ姿でそびえ立つ
ナヴォイ劇場があった。
タシュケントの住民はその劇場を
日本人への畏怖と共に畏敬の念をもち
見上げていたそうです。

捕虜であるにも関わらず
日本人の誇りを持ち作業した方々。
勿論不幸にも亡くなってしまった方も
居ます。
今の我々はこう言う方々に対して
慰霊などをしてきたか。
なにもしてきていない。
ナヴォイ劇場の建設に関わり亡くなった方々は
現地の人たちは、ソ連の
破壊命令が通達されたときも
「ここにはあの日本人たちが眠っている場所だから」
と墓地をよく護ってくださった。
灼熱の南の島でそして満洲やモンゴルで
祖国へ帰還しようとても帰還出来ずに
現地の土に成なった方も数多いる。
そう言う人たちが祖国へ帰還出来る様にしなければ
日本の戦後処理は
終わらないとおもうのです。
8月23千鳥ヶ淵での追悼の集い





シベリア、満蒙抑留戦没者慰霊・・・今こそ援軍を送る。英霊を祖国へ帰還させよう。_b0301338_511506.jpg


千鳥ヶ淵戦没者墓園で
シベリア・モンゴル戦没者追悼の集いが行われた。


シベリア抑留犠牲者の追悼式

シベリア、満蒙抑留戦没者慰霊・・・今こそ援軍を送る。英霊を祖国へ帰還させよう。_b0301338_5115351.jpg


終戦直後、シベリアなどに抑留され、
厳しい寒さや過酷な強制労働で亡くなった人たちを
追悼する式典が東京で開かれました。
8月23日は、67年前に旧ソビエトが中国にい
た元日本兵や民間人をシベリアなどに
移送する指令を出し、
所謂
「シベリア抑留」
が始まったとされる日です。
東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑では、
抑留体験者や遺族でつくる団体が
亡くなった人たちの
追悼式を開き、およそ100人が参列しました。
参列者を代表して、抑留を体験した
>池田幸一さん(91)が、
「平均年齢が89歳の私たちに残された時間は僅か」
「シベリア抑留とは何だったのか」
「国の責任で明らかにして」
「亡くなった仲間の霊を慰めてほしい」
と訴えました。
厚生労働省によりますと、
終戦直後、旧ソビエトによって
シベリアやモンゴルに抑留された
日本人はおよそ57万5000人
厳しい寒さと強制労働で5万5000人が
亡くなったとされています。
このうち、3万3000人余りの遺骨は
今も現地に残されたままで、戦後70年となる
平成27年度に向けて、去年から国が集中的に
遺骨の収集を進めています。
過酷な体験を本に

追悼式に参列した林照さん(87)は、
中国東北部で終戦を迎えたあと
シベリアに抑留され、
3年間森林の伐採や鉄道建設などの労働を
強いられました。
帰国して間もなく肺炎で入院した林さんは、
シベリアでの体験を11冊のノートに
詳しく書きとめました。
その後、戦争の記憶が風化していくことに危機感を覚え、
体験を次の世代に伝えたいとノートの内容を
17年かけて本にまとめ、ことし3冊目を書き上げました。
850ページに上る本には、
凍傷で足を切断した人もいた氷点下40度の厳しい寒さ、
死んだ仲間を埋葬したときの
つらい気持ちがつづられています。

林さんは
「涙が出て筆が進まないこともあったが、
戦争の事実を
後世に伝えて同じ過ちを
繰り返さないための教訓として
残していきたい」
と話していました。

毎日新聞 2012年08月23日
19時56分(最終更新 08月23日 20時10分)
シベリア抑留:千鳥ケ淵で追悼の集い、
実態調査求める声

第二次大戦後、旧ソ連によって抑留され、
シベリアやモンゴルで死亡した約6万人を追悼する集いが
23日、東京都千代田区の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑で
開かれた。

「シベリア抑留」
は抑留者や死亡者の正確な数も判明しておらず、
抑留経験者からは、2010年に成立した
「シベリア特別措置法」に基づく国の実態調査を
急ぐよう求める声が上がった。
集いには、平均年齢89歳とされる抑留経験者や遺族、
小宮山洋子厚生労働相ら国会議員など
約100人が出席した。
旧ソ連の独裁者スターリンが
終戦直後の45年8月23日、旧満州
(現中国東北部)にいた日本兵の
強制労働利用を命じたことから、
抑留経験者や遺族らが93年から
この日に集いを開いており、
今回で10回目。
当事者が開催していることについて、
衛藤征士郎衆院副議長は
「政府か国会が行うべきだ」
と国が主催すべきだとの認識を示した。

2012.8.23 21:03 産経
体験者や遺族ら参列 シベリア抑留追悼の集い

終戦後にシベリアなどに抑留され死亡した人を
追悼する「シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」
が23日、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑(東京都千代田区)
で開かれ、抑留体験者や遺族らが参列し、
黙祷と献花を行った。
8月23日は
旧ソ連の最高指導者、スターリンが
抑留を指示した日にあたる。
厚生労働省によると
当時、約57万5千人がシベリアや
モンゴルに強制抑留され
約5万5千人が抑留中に死亡した。
現在も約3万3千600人の遺骨が現地に残されたまま。
政府は戦後70年となる平成27年度に向け、
埋葬地の調査を強化するなど
遺骨収集を集中的に行っている。

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桔梗の花言葉は「誠実」
2012年08月23日 民主党HP
民主党広報委員会
http://www.dpj.or.jp/article/101361/
「戦後67年第10回シベリア・モンゴル
抑留犠牲者追悼の集い」


敗戦時に旧満州地域などにいた
元日本兵や一般邦人のシベリア抑留・強制移送を
命じたソ連の最高指導者スターリンの
秘密指令から67年となる
8月23日、東京・千代田区にある国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で
「第10回シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」
が開催され、政府から小宮山洋子厚生労働大臣、
民主党からはシベリア議連=戦後強制抑留者
問題解決促進議員連盟会長
谷 博之法務副大臣
同議連会長代行 石毛えい子衆院議員
同議連事務局長 那谷屋正義参院議員
岡本充功
首藤信彦
田中美絵子
初鹿明博
浜本宏
森山浩行
吉川政重
各衆議院議員

今野 東
白 眞勲
両参院議員が参列。
抑留経験者や遺族も含めて
約100人が参列し、黙とうと献花を行った。
追悼の集いは2003年から開かれている。
党を代表して挨拶に立った谷 会長は
政権交代の成果として
「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」
(略称シベリア特措法)
が議員立法で成立、施行されたことを取り上げ、
今年3月末までに総額約188億円が6万8千人の生存者に
特別給付金として支払われたことを報告、
協力した各党にも謝意を述べた。
また昨年夏の
「強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針」
の閣議決定を受け、今年度は昨年比倍額の予算を確保、
ロシア軍事古文書館が保有する捕虜護送部隊資料から
抑留中死亡者の特定につながる資料の調査、
未確認の埋葬地の調査などに民間の協力を得て
精力的に取り組んでいることを報告した。
第二次世界大戦時に国外で死没した日本兵や
一般邦人の身元不明の遺骨を安置している
同墓苑には、旧ソ連・モンゴルで収集された
日本人の遺骨1万柱以上も納められている。


参加者の献花の列

2012年8月24日赤旗
遺骨収集 国の責任で
シベリアなど抑留犠牲者追悼の集い
塩川議員あいさつ


シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いが
23日、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑
(東京都千代田区)
で開かれ、元抑留者や遺族など
100人を超える人が参列しました。
ソ連による日本人捕虜・抑留被害者支援・記録センター
(シベリア抑留者支援センター)
などの民間団体がつくる実行委員会の主催。
旧ソ連軍最高司令官スターリンが
1945年
強制抑留指令を出した日に
毎年、開いてきたもの。
今年で10回目になる。
2010年に成立した
「戦後強制抑留者特別措置法」
いわゆるシベリア特措法で
元抑留者6万8800人が特別給付金を受け取り、
実態調査などの基本指針も
閣議決定されています。
同センター世話人の池田幸一さん(91)
が主催者を代表して挨拶。
国の責任で抑留数や死亡者数を明らかにし、
シベリアなどに残る遺骨収集を行うことを強調、
「平均年齢89歳の私たちに残された時間は僅か。」
「国を挙げて責任を果たし、後世に悲劇を伝え
歴史の教訓を心に刻む仕組みが暦の上でも
確立されることを望む。」
と訴えた。
父親の抑留体験をもとにした
『凍りの掌(て)』
を刊行した漫画家、おざわ ゆき さんが
「次世代に生きるわれわれにできることは、
抑留者の記憶を痛みとともに受け止め、
伝えていくこと」
と発言。
抑留者の生への思いがこめられた
『異国の丘』
を献歌したバリトン歌手・古川精一さんも、
おじへの追悼の言葉をのべました。
日本共産党の塩川鉄也衆院議員の他、
各党代表が来賓あいさつした。


by kaorukusano_1 | 2012-09-01 20:55 | 泣ける話
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しわかみの 真心秀眞と成るときに 花咲く御代の春や来ぬらん 皇=しわかみとともに 國民の心が本当の【誠】となれば 美しい光で満たされた花咲く春が 必ず来るのです。 (ほつま つたゑ)

by kaorukusano_1
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